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韓信悪くかかれすぎ? [史記メモ]

いつもの岩波文庫 史記列伝3 より^^

「平民であった頃は、貧乏で品行が悪かったから・・・」

「いつも人のやっかいになり食べさせてもらっていたが、
それをいやがるものが多かった。」

「食事時韓信が訪れると、食事を出してくれない。韓信もかれらの気持ちをさとると、腹を立ててとうとう絶交してよそへ行くことにした。」(南昌の亭長の家)

「(楚王になってから) 南昌の亭長を召し出し、百銭を授けて言った、
あんたは心の小さい人じゃ。人に目をかけたのに、しまいまで見てやることはなかった」

「(鐘離眛が自殺の前に) 韓信をののしった、あなたは篤実なおひとではない」

「韓信は、漢王がかれの才能をおそれにくんでいることを知り、いつも仮病をつかって・・・、
昼も夜もう怨みを抱き、しょっちゅうくさくさと気がはれず、周勃や灌嬰と同じ身分なのを不名誉だと思っていた」

「(韓信が樊噲の家にいった時) 樊噲は送り迎えにひざまずいて頭を下げ、はなすときにはわたくし(臣)といった。
・・・韓信は門を出ると自嘲の笑いを浮かべ、おれさまも樊噲ごときと同じ仲間になってしまったとは、といった」
(・・・ここが一番嫌です!^^; つーか、これって誰かが聞いてたんかな??司馬遷の創作??)

「太史公曰く・・・、もしも韓信が道理を学び、謙虚で、自分の功績をほこらず、その才能を鼻にかけなかったならば、ほとんど理想的な人となれたであろう・・・
天下の大勢がすでに決定してから、反逆を企てた。一族がみな殺しになったのも、当然のことではなかろうか。」

うーむ・・・。


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